W杯の舞台裏 

あなたの周りのワールドカップ
W杯はオリンピックをしのぐ
私の仕事は「リエイゾン」??
Nチームの素顔

鍛えられた身体に鋭い目の選手たち。テレカを買いたと言うので、3人の大男たちにはさまれながらコンビニに案内。
週刊誌のエッチなグラビア見て店中に響くような大声で笑う・・・・
そうだよ、忘れてた。まだ10代と20代の男の子なんだよ。

平塚でのご対面・・・ピジョンイングリッシュ
顔のこと・・・一目でわかる部族
食事
音楽
ショッピング
Unbelievable! That's real African!!

さすが、アフリカン、毎日毎日信じられないことが起こりました。
わたしたちの感覚では考えられないことの連続でした。
どこまでここに記していいのか判断が難しいところですが。

ユニフォーム事件    
大臣の買い物
忘れ物
リエイゾンの反乱
みんな友達
帰らせていただきます
寝坊事件

                                 

 

あなたの周りのワールドカップ

サッカーファンには待ちに待った日韓合同開催2002W杯でしたね。

何が何でもがんばって日本戦のチケットを手に入れた人。

がんばったけど結局テレビ観戦で我慢するしかなかった人。

スタジアムまで繰り出して熱気を身体で感じた人。

偶然、外国チームと新幹線で乗り合わせちゃった人。

わたしの友達なんか、自分が行けなくなって友達に譲ったチケット、

なんとベッカムの隣の席だったんだって。

一人一人のいろんなW杯があったことでしょう。いろんなドラマがあったでしょう。

ワールドカップって? って、全然関心のない人ももちろんいますよね。

実はわたしもその一人でした。

わたしのW杯をちょっと聞いてください。

 

 W杯はオリンピックをしのぐ?

W杯を成功させるために、ほんとうにたくさんの人が動きました。

競技種目はオリンピックとは違って一種目だけですが
オリンピックを開催するよりもたいへんだったかもしれないと思います。
今回は韓国と日本の2ヶ国での開催。開催地は20ヵ所にもなりました。
競技場が各地に散らばる冬季オリンピックでさえ20ヵ所にはなりません。
32ヶ国のチームがそれぞれのキャンプ地にはいったわけですから
52ヶ所の都市がこのお祭りの為にそれはそれは大変な騒ぎだったと思います。

しかもそれぞれのナショナルチームの選手は23人、さらに関係者が2、30人になるので
60人くらいの団体さんになります。この人数が動くわけですから、動線確保が大変です。
飛行機、電車、などの交通機関、バスや荷物用のトラックなどの輸送機関、ホテルなどの宿泊施設
滞在中の練習施設、食事、その動線全ての場所で警備が必要になります。
オリンピックとは違って対フーリガンの警備も必要ですし、しかも未知数でした。

さらに予選リーグでの成績によって、後半どのチームが上がってくるか決まってくるので
開幕の段階では決勝トーナメント参加のチームの動線が全くわからないというのもたいへんでした。
つまり、予選リーグ突破のチームがvenueを移動するための交通手段はすべての場合を頭に入れて
あらかじめ予測して確保しておけないわけです。

はたまた、いつ負けて帰国するのかも予想できないので飛行機のチケットもとっておけないのです。
国際線と、国際線に乗り継ぐための国内線も60人分の席がすぐ確保できるはずはありません。
最後まで綱渡り状態でした。
無事終わったのが奇跡のようです。

 

私の仕事は「リエイゾン」?

そんな綱渡りのW杯を陰で支えているスタッフの中で、一番チームに近いのが「リエイゾン」です。
「リエイゾン」というのはフランス語のようです。「連絡」という意味です。
つまり、海外のチームが日本に滞在している間、チームと外部との橋渡しをする仕事です。

外国チームに6人のリエイゾンが付きます。6人の構成はチーフ、サブチーフ、プレス対応の通訳、
セキュリティー担当の通訳、それに警官が2人です。

私の仕事は、セキュリティー担当の通訳、つまり、チーム側のセキュリティーと警察とのコミュニケーションの通訳です。キャンプ地が平塚だったので天下の(!)神奈川県警の方とお仕事をする事になりました。結局この6人がチームご一行と帯同し、日本滞在中の一番身近なお世話をするんです。

その「リエイゾン」の仕事内容は、国によってかなり違ったようです。
わたしの担当したNチームの場合は、他のアフリカチームにも言える事ですが、そうとう大変でした。

なぜかというと、とにかく彼らのアフリカンウェイは日本では全然通用しない。
そして、彼らはその事を全然わかってない、からです。

派遣会社の方はそれをちゃんと予想していたようで、わがNチームにはその道のエキスパートが配属されていました。何から何まで係わったわれわれのリエイゾンチームのサブチーフとプレス通訳は、それはそれは見事な仕事振りでした。覚悟はしていたとはいえ、正に怒涛の日々でした。

 

平塚キャンプでのご対面

平塚のキャンプの最終日前日にわたしはNチームに合流しました。ここで5日間過した前任者のKさんから引継ぎを受けて、チームとの2週間の珍道中がが始まりました。

練習場での引継ぎを終えてホテルに戻ると、夕食を食べる暇もなく会議です。部屋にはNチーム側のスタッフ3名と、神戸のホテルの方が2人、それにわたしたちリエイゾン。
What's going on? いったい何がどうなっているの?
どうも神戸で宿泊予定のホテルの人が値段交渉の為に来ているようなのです。

そこで、いきなり「Uraraさん、通訳やってくれる?」とチーフ。チーム側はどうしても高すぎると言って譲らないし、神戸のホテル側もチームが要求するような金額には到底できないと、譲らないし…。

やっと状況はわかったものの、「ガ―ン、彼らの英語が聞き取れない!」 彼らは普段はピジョンイングリッシュと言って英語は英語なんだけど、独特のアクセントの英語を使っているのです。わたしたちと話すときは一応普通の英語を使っているのですが、なにしろ耳がぜんぜん馴染んでいなくて。しかも大事な大事なお金の交渉… この場はサブチーフのプロ級の通訳で助けられましたが、わたしのこの聞き取れない状態はけっこう続きました。

さてさて夕食と、食堂で選手団の食べ終わるのを待っていると、今度はチーム関係者の弁護士とお医者様のご夫婦が、日本でのチーム担当のお医者様とお話がしたい、とのことでわたしが通訳をする事に。最新糖尿病治療の話で延々1時間半。あー、お腹がすいた。

わたしだけが夕食を食べそびれたかと会議室に戻ると、皆もう真夜中というのに食事をする気配さえない。平塚のスタッフの人も、警備の人も、みんな。サブチーフなぞ、鳴り止まない携帯に充電器をつなぎながらもう、靴なんか脱いじゃって、延々と打ち合わせ。あ〜!なんという所に来ちゃったんだろう。わたしに勤まるのかな。

取り合えず、この日は午前1時過ぎ、初日ということでお先に部屋に戻らせてもらったものの、似たような、経験した事のないような怒涛の日々が続く事になるのでした。

 

顔のこと

顔の見分けがつかない!挨拶して、握手して、親しくお話しても、区別がつかない!

ウエスト・タリボのキリン型の髪型とか、ソジェのあごから突き出してるみたいな緑の髭のトレードマークとか、オコチャの編み込み頭みたいに、ちゃんと目立つようにしておいてくれれば覚えやすいのに。背が低いのに恐ろしく足が速いイケディアも、みんなが大きい中で170cm以下っていうのは、見分けやすい。それに歩き方も独特。

顔のマーク(刺青みたいなものーでも同じようなところに何人もしてると、結局わからない)をしている人もいるがあんまりそれをじろじろ見るのもちょっとね。みんながおそろいのユニフォームでいることが多いので、それも厳しい!

その点、役員や関係者は民族服や背広姿の人も時々いるからいい。ただ、着替えてしまうと、またわからなくなってしまう。

びっくりしたのは、各々が自分の「トライブ」つまり「部族」をもっているんです。しかも、それは顔を見ただけでその人がどのトライブの人かわかるのだそうです。

ハウサ、ヨルボ、イボが、ナイジェリアの3大トライブ。オコチャ、ババヤロ、カヌ、イケディア、ヴィンセント、アイザックはイボ族。
監督のオニグビンデ、ショルンム、アデボジュ、オパブンミがヨルバ族。
ラワルは、ハウサ族。アガホワは少数派のエド族、ウエストはリバース族、オグベチェはイドマ族。という具合。

トライブごとの共通点があるといえばあるような気もする。イボ族はあごが張ってて男っぽい感じ。ヨルバは、なんとなくひょうきんな顔〜。早くこの族の共通点に気がついていれば、もっと顔を覚えやすかったのに・・・。

 

食事

Kさんから引継ぎを受けた時に、食事は厳しいよーと、聞いた。
Kさんも世界中そうとういろんなところを旅行してるのに、旅慣れた人が言うんだから相当食べにくいのかな。
キャンプ地平塚にいる間は、日本のN国料理店でコックをしているダグラスが料理を作っていた。その後も成田、神戸、大阪と、ずっとダグラスが同行して、一日一食はご当地料理だった。
どんな内容かというと、主食がヤム。ヤム芋の粉を練って作ったものだとおもう。粘りのあるマッシュポテトという感じで、独特の臭いもある。右手でこねてちぎっておかずをつけて食べるのだ。そのおかずが、どんなのかというと、まず、香辛料のきいたラムの煮込み、香辛料のきいた黄色いサカナ料理、ぺぺスープ(これは、こしょうのきいた牛の内臓の煮込みのよう)、香辛料のきいたトマト味の肉料理、香辛料のきいたおくら料理、香辛料のきいた豆料理。つまり、ぜ〜んぶ香辛料が強烈に強い! それが、バイキングのテーブルにジャーンと並ぶ。
バックパッカーとしては、どんな料理にも挑戦する主義なんだけど、言い訳するとしたら、気持ちが仕事の時は冒険できないってことかな。食事も、楽しみではあるんだけど、へとへとになって、おそーい時間にやっとありつけた食事がこれだと、けっこうきつい。特に、2週間の最後の方はカレーももう結構っていう感じになっていました。
ホテルは4ヶ所ともフィンガーポールを用意してくれていた。今回の為に買い揃えてくれたのだそうだ。
あとは違うといえば、食べる量。あの身体を作っているのだからね。そりゃそうです。
りんごとか、パパイヤとかのフルーツは当たり前のように丸ごとでる。食後にちょっと食べたいなーって思っても、なんだか切ってくれてないならいいや、やめとこって思ってしまう。大きいのを丸ごとがぶりとかじる元気が出ないほど疲れていたんです。

 

 音楽

アフリカや南米のチームは、体で歓喜を表現しますよね。
誰が指揮しているわけでもないのに、体が自然に動いている。歌い出している。
生活のいろいろな場面で歌や踊りが登場する。練習の後とか、お祈りの時とか。
音楽が彼らの体に染み付いるっていう感じ。
アフリカンゴスペルが聞けると楽しみにしていたんだけど、
たまたまわたしが選手団のバスに乗った時にはゴスペルではなくて、jujuというジャンルの曲がかかっていた。
ノリのよいレゲエみたいな感じの曲だった。歌っているのはSunny Ade。もちろん、座席で自然に体が揺れちゃって、歌も出ちゃう。
バスではいつもちゃんとべロがDJ役をしている。各venueで輸送班が変わるといつも「バスにはCDプレーヤーが付いてるか」を確認。
音楽がかかせない彼らにはCDプレーヤーは不可欠なのだ!
鹿島での初戦、スウェーデンがあとから到着した時も、バスから旗を垂らし、踊って歌う彼らの勢いは迫力があった。
バスが止まってもまだ歌は止まず、バスもリズミカルに揺れていて、運転手さんも途方に暮れながら揺れていたのが印象的だったなー。

 

 ショッピング

大阪では2回も難波にショッピングに繰り出してしました。もちろんお供で。
前に大阪に住んでいた時は3年間で1回しか行ったことのない難波なのに。
最後の宿泊地になる大阪に入った時に、う〜ん、これは買い物に付き合ってって言われるだろうなという予感がしたので、ミーティングの時に大阪JAWOC輸送班のFさんに「難波でんでん街の歩き方」をしっかり聞いて準備OK。

彼らのお目当ての難波まで1時間以上かかるなんて、ぜんぜんお構いなし。練習がオフになるとさっそく「カメラ屋に行きたいんだけどー。」と声がかかる。「はいはーい、まかせて。」

電車に乗ると、大はしゃぎ。バスやチャーター機での移動ばかりで、素の日本を見る機会がなかったからね。写真を撮ったり、隣の席の人に話し掛けたり。サッカーだけしか見えないのかと思っていたから、少しは日本や日本人にも興味があるとわかってうれしかった。

そういうときに、ホテルにいる時の仕事の顔とはちょっと違う、おちゃめな部分がのぞく。「あそこにいる女の子、いくつくらいかなぁ。Uraraより若い?」「知らないよー。若いと思うの?年上だと思うの?」
最後の試合の終わった翌日、2回目に行った時は、おいしいたこ焼き屋さんを聞きつけ、これまた大はしゃぎ! 買ったばかりのビデオカメラをずっとまわしっぱなし。
こんな彼らは見るからにナショナルチームなのだけど、日本人サッカーファンもたいていちょっと戸惑って、「この人たち、選手ですか?」「どこの国の選手?」と聞く。
偶然隣り合わせて座って、どこでもいいからサインしてもらわなくちゃ、と慌ててデイパックとかTシャツとかを差し出す人もいる。

サインと言えば、神戸では地元の中、高校生が連日ホテルに押しかけてきたんだけれど、ちょっとひどいのは、誰でもいいからつかまえて、「選手?誰?有名?」と、かまわずに聞いてサインをもらおうとすること。時々何をまちがえたか、一目で選手じゃないってわかる50代のスタッフにまで「選手?」って聞いちゃってるからびっくりする。
あんまり有名過ぎて外を歩けないのも困るし、ぜんぜんサインを求められないのも寂しいし...。親心も出てきて、セキュリティー担当としての希望は、「適度な盛り上がり」というところでしょうか。

 

ユニフォーム事件

試合の前日に、「公式練習」があります。スタジアムのロッカールームやピッチの下見、当日に混乱がないように輸送や動線の確認、それにプレス向けに練習の一部が公開されます。よく、スポーツニュースでお目にかかるやつです。
前日にもう一つ大事なことがあります。「マッチ・コーディネーター・ミーティング」です。
そのミーティングでは両チームから監督とイクウィップメント担当者などが数人と審判が出席して、試合の打ち合わせをします。試合に使用するユニフォームを照らし合わせて、両チームの色が重なっていないかとか確認するのもこの場です。

成田のホテルから鹿嶋スタジアムに出発しようとした時、チームがわさわさし始めました。
ミーティングに持っていく試合用のユニフォームのゼッケン番号が違っていることがわかったのです。
申告済みの選手名とゼッケン番号が合っていなかったらもちろん失格です。
で、どうしたかというと、タクシーをとばしてスポーツ店に行って名前を切りとって張り替えてもらうしかないという事になったのです。

とにかく時間がないので、チームの担当者2人と成田の地理の分かる地元のボランティアエスコートスタッフとわたしで、タクシーに乗り込みました。ホテルで調べたスポーツ店に電話で連絡を取りながらタクシーを飛ばしてもらいました。

成田と言ってもホテルは空港の近くの町から離れたところにあるのでかなり時間がかかります。
成田界隈のことは全く知らないので時間の予想もつきません。Nチームの2人はもっとわからないでしょう。果たして間に合うのか。

そしてもう一つの心配は、うまく名前を入れ替えられるのか。切りとって縫いつけるといっても縫い代はないし、ユニフォームの生地ってつるつるで縫いにくそう。どんな風に縫うのか見当もつかないまま車の中から「黄色の糸をミシンに通しておいて!」と電話で緊急性を伝える。

不安なまま名前を切りとって、思考錯誤の末、同じような生地を下に置き、その上に裾上げテープをまわりに当ててアイロンで接着。スタジアムと連絡をとりながら、進捗状況を報告。ミーティングは始まってしまったが終わるまでに間に合えばなんとかなるという返事。タクシーのうんちゃんたのむで〜とお願いして、ハラハラドキドキ、スタジアムに滑りこむ。

待ち構えていたスタッフにユニフォームを手渡し、なんとかセーフ。
ワールドカップ第一戦を控えたナショナルチームに実はまさかのこんな事件が起こっていました。

 

 大臣の買い物

6月4日の暑い日でした。スポーツ大臣ご夫妻と御付きの数人とメディアを布引ハーブ園とショッピングにご案内する役に任命されてしまった。あ〜、こんなところでUrauraのメンバーと来た神戸ツアーの経験が役に立つなんて。とは言ってもホテルからの道順もわからないので神戸市役所の職員の横尾さんに同行をお願いした。
ハーブ園観光が終わると大臣の奥様と御付きのJacob以外の人たちは車で帰ってしまった。急いで買い物をすれば午後の練習には間に合いますよと誘ったのだが、きっぱりと断られてしまった。せっかくだから神戸の町を見せてあげたかったのに。でも、みんながさっさと帰って行った理由はあとでわかった。ミセスアキガはとんでもない買い物好きだったのだ。

三ノ宮のそごうの前で車を降りると、ミセスアキガとJacobと横尾さんと私のショッピングツアーが始まった。「こちらのデパートでしたら神戸最大ですのでなんでもそろいます。」さてミセスアキガのお目当ては…1Fより化粧品、靴、サンダル、バッグ、洋服、アクセサリー、特に真珠、浴衣、サムイ、サンバイザー、お土産用の扇子、日傘、スカーフ、コースター。

「これは何ドルになる?」と必ず聞かれるので売り場売り場で電卓を借りて計算する。どっちがいいか、他のサイズはあるか、似合うか、いろいろ意見を聞かれる。Jacobはというと、小さな身体で次々に増えていく大きな紙袋を抱えて、それでも自分も奥さんにお土産を買うのに忙しい。アクセサリー売り場当たりからは横尾さんがJacobについてふたてに分かれた。

三時ころになってやっと「何か食べませんか?」とパスタのレストランに入るが、座ってメニューを見てから、食べられるものがないと言って席を立ち店をかえることになる。パスタがだめなら、中華か。しかし、そごうにはあいにく中華の店がない!もう、ぺこぺこのくたくたで、外に繰り出す元気はないので、この際、天ぷらだ。天ぷらの店のある階までたどりつくのにまた数時間、ミセスアキガは買い物を楽しまれ、やっと7時ころに食事にありつけた、いや、お食事の時間がまいりました。

ミセスアキガは、ひとつひとつ興味を持たれ、「これは?」と聞きながら、ほとんど食べられたのでホッとしました。横尾さんと乾杯したビールのおいしかったこと。

「さて、あとはあなたの持ってるそういうサンバイザーを買いたいの。」と言われ、バイザーは差し上げました。もう、足が痛くて限界でしたので。帰りは地下鉄で通勤客と一緒になって日本の庶民の生活を垣間見ながらホテルに戻りました。

 

  忘れ物

大会中いろんな忘れ物があった。ホテルやバスやグランドに、携帯、カメラ、洗濯物、、、、。他のチームの事はわからないけれど、多分忘れ物大賞は我がNチームがいただきだと思う。

後半になると、わたしたちは彼らの「持ち物」まで心配する立場にないのだけれど、「あれ持ったかな?」「大丈夫かな?」とすっかり心配性の保護者のようになっていた。

予選リーグ最後の試合に向かう選手バスのうしろでスタッフバスの中は騒然としていた。そういえばユニフォームの入ったダンボール箱をバスにつみこむのを誰も見ていない、ということがわかった。隣にいるオフィシャルサプライヤーのスタッフもユニフォームはチェックを完了して箱にいれたという。もしチームのイクイップメント担当者が積み忘れたのだとしてももう取りに帰る時間はない。いつものように出発の集合時間は大幅に遅れてもうぎりぎりというところで出発したのだ。もう選手がユニフォームを着ているのではないか。いや、確かにバスに乗りこんだ時はTシャツだった。

まさか...。選手バスに乗っているリエイゾンに恐る恐る電話をすると、各個人で持っているとの事。各自に任せてもし忘れてくる人でもいたらたいへんなのに。公式戦でのユニフォームはチームで管理するのが普通らしい。スタジアムについてユニフォームに着替えるまで落ちつかない。(ほんとうはリエイゾンが心配することではないのだが。)

スタジアムに着くと、ユニフォームならぬたいへんな忘れものが発覚した。K選手がADカードを忘れてきたのだ。スタジアムは厳しいセキュリティーがかかっていてスタッフも選手も例外なしに顔写真付きのAD(accreditation)を首から下げている。ADは細かく等級分けされていて因みにリエイゾンのADは選手の次に高く、言ってみればどこにでも、韓国の会場にも入れる。とにかく、いくら誰もがわかるK選手であってもADなしでスタジアムにいれることはできないのだ。

結局スタッフがホテルの部屋まで彼のADを取りに戻ったのだ。

最後まで忘れ物なのかどうかわからなかったのは、ボールだった。ボールなしで来るチームも他にはないと思う。キャンプ地の平塚では借りたボールにサインをして返した。次の鹿島では地元のチームから借りた。そんな具合にとうとう「持って来ている」と言っていたボールは最後まで幻のままだった。ボールを持ってこないチームも珍しい。持ってこなかったのか、忘れたのか、いまだにそれはわからない。

 

 

 

 

 リエイゾンの反乱

すごく過激なタイトルですが・・・「反乱」といっても・・・要は、大阪でたこ焼きを食べに行っちゃっただけのことなんです。

4箇所のホテル生活、きっと、仕事がひけたらその土地土地のおいしいものを食べに行ったりできるのかと思ったら、そんなに甘いもんじゃありませんでした。おいしいものどころか、普通の食事もすきま時間をみつけてすばやく済ませなくてはいけないし、「事件」はいつおきるかわからないので、深夜12時ころ部屋に戻るまで気が抜けないのです。
「大阪行ったら、たこ焼き食べたいよねー。」「たこ焼き食べないで帰るのかなー。」と切ない会話がちらほら出始めた神戸。
いつものように大阪への移動日の前夜、リエイゾン&JAWOC輸送班は、タグとリストをもってバゲダン(baggage down)にチームの部屋を行ったり来たり。次のホテルでの部屋をタグに書きこんで荷物を地下に下ろし、個数を確認しながらトラックに積み込むのです。
選手ははっきりしているのですが、いつも問題になるのが途中で合流する「関係者」。その中には本当についでについてきた人もいれば「Queen」と呼ばれている方もいる。とにかく行く先々で予約が入っていないとか、なぜか人数が合わないとか、そんなトラブルを繰り返してきました。結局通訳が必要になって、結局ホテルとの交渉とか部屋の手配まで、リエイゾンが手伝わなくてはならないということになるのです。

朝、案の定、エレベーターで降りてきたチーム関係者が2台のバスに乗り込むと、なぜか定員いっぱい。「あれあれ、わたしたちはどこに乗るの?」とうとうリエイゾンはYさん一人しか乗れないままバスは大阪に向けて出発して行きました。はみ出たわれわれはバスタクシー(?)を呼んで、追いかけることになりました。大阪のホテルのチェックインではまた大騒ぎになるだろうに、大丈夫なのかしら、と思いながら、でも乗れないんだからしょうがない。それに、ちょっと気が楽だったのは大阪にはNチームのトラブル振りを聞きつけて派遣会社から仕事のできる応援要員が送られて到着数日前から待機しているとのことを聞いていたからです。

遅れついでに、これは内緒の内緒なのですが、たこ焼きを食べようということになったのです。泉佐野市に降りてから大きなバスタクシーでうろうろして、人に聞いてたこ焼きやさんを見つけ、タクシーの運転手さんも一緒に食べました。おいしかった。

 

 みんな友達

彼らのアフリカ時間が日本では大変なトラブルを起こすのと同じく、彼らの「みんな友達」的なところはよくもあり、悪くもある。お国からはるばる応援に駆けつけた友達とか親戚とか関係者とか…。日本在住のN国人にとってもこれは大変なお祭りで、もちろん応援に繰り出してくれる人たちに感謝感謝である。。

問題はホテルの食事の会場に、そういう人たちが流れこんできてしまうのだ。最初のうちはその人数も少ないので「すみませんが、ADパスのない方はご遠慮願います。」と丁寧にお断りすれば済んだ。そのうち、途中から合流した民族服のお姫様とか、大臣とか、パスをもっていなくてもお通ししなくてはいけない方々が一人二人と増え、いつのまにか、バイキングの食事が足りなくなる始末だった。

食事会場のバンケットルームの入り口には地元の警官、ホテルのセキュリティー、それにわたしたちリエイゾンがチェックをしているのだが、その取締りは日に日に難しくなっていった。ホテルやチームと打ち合わせ、いろいろ手段を検討したけれど、何より難しいのはチームのトップが「来た人は皆友達」と思っていることだ。半分は義理で断れないという事情もある。でもそれではホテルにとっては「話がちがう」というものだ。わたしたちもそれが仕事だから夕食時は毎日ピリピリだった。

そしてとうとう神戸の夜に事件は起こった。試合が終わって緊張感が和らいでいた夜に、選手の友達がパスなしで選手と食事をしようとして止められ、これに抵抗した選手が本気で怒鳴ってきたのだ。わたしたちの気がつかないうちに他のパスなし外野が入室していて、それなのに自分の大事な友達を入れないのは納得がいかないというのだ。彼は食べ物の皿を目の前に突きつけて、すごい剣幕で怒鳴った。

そしてもう一つは、ほとんどの人が食事を終えてそろそろわたしたちも夕食にしようかとガードをゆるめた頃、なんと、全然関係ないN国人と日本人の女性が平然と中に入って食事をしているではないか。注意をしてもなかなか出て行ってくれない。女性はおどおど怯えているが、男性は平然として食べ続けている。はいってしまった者を力ずくで引っ張り出すわけにもいかない。結局しばらく食べて静かに帰って行った。

チームのセキュリティーの力がないというよりは、「みんなどうぞ〜」みたいな空気が漂っている。ホテルとの契約がどうとか、お金を払っていない人が食べてる、とか、まあ、N国ではどうでもいいことなのかな。夕食は民族服の人が集まって社交場状態になることもしばしば。N国独特の雰囲気かもしれない。

 

 

 帰らせていただきます

いろいろな分野のプロと一緒に仕事ができたことは今回の大きな収穫だった。特にサブチーフのMさんの仕事振りは素晴らしかった。もちろん、派遣会社側もNチームのトラブルを見込んで仕事のできるメンバーを選りすぐったのだ。Nチームのどんなわがままやトラブルにも毅然として適切に対処し、フレンドリーにならなくてはいけないところではばっちりフレンドリーに、要人に対してはプロトコールの手配を怠らず、とにかくいつもいつも働いているMさんだった。

対外的にも添乗の経験がそのまま助かった。ホテルでも飛行機でも各地のJAWOC輸送班にも行く先々で信頼が厚く、Mさんが出れば難しいこともスムーズに進む。そのMさんがとうとう切れた。

毎回移動の前日には次のホテルの部屋割りをチームからもらいホテルにファックスを入れる。そのルーミング表を見ながら出された荷物にタグをつけ輸送するのだ。膨れ上がった人数をチームの責任者B氏ですらもうどうすることもできなくなっていたのだ。かと言って、Mさんにもわたしたちにもどうすることもできない。「ルーミングは?まだ?」と何回も催促しながら、とうとう最終期限をとっくに過ぎて前日の夜になってしまった。

夕食のあと途方に暮れた様子でMさんに向かうB氏。「お願いだよ、Mちゃん。これからすぐやるから。」泣きそうな顔でMさんをのぞき込むB氏。でも、もうだまされません。「いつもいつもそう言い続けてきたでしょ。最後のホテルまでとうとうこの調子。こんなだらしない人たち、初めてよ。」「もう、わたし、帰らせていただきますから。泣きついても知りませんから。」そう言うとMさんは消えてしまった。

「Urara、携帯に電話してみて。部屋にはいないかな?部屋に電話してみて。」「いない?どうしたらいい?困ったよ。」

Mさんなしでは本当にどうしようもないB氏だった。「僕だったら、心から謝りの手紙を書くな。」とリエイゾンチーフのK氏。
そこでB氏からの熱い熱い謝りの手紙をMさんの部屋に届ける。部屋のノックにも返事がないので、取り合えずドアの隙間にはさむ。

フロントを探し、ホテルの外を探し、手を尽くしたけれど見つからず。
B氏曰く、「そうだ、花を贈ろう。僕の国ではこういう時は花を贈る。ねえ、Urara、花屋はどこ?」

ねぇ、もう夜の10時過ぎ、花屋なんて開いてるわけないでしょ。

 

寝坊事件

予選リーグ敗退が決まるとすぐに帰国の飛行機はどうするのかということになる。これもまたMさんの手際良い手配でほとんど不可能かと思われた一両日中の帰国が実現した。飛行機が取れなければ最後の一人を送り出すまでリエイゾンが残らなくてはいけなかった。もちろんそれまでの滞在ホテルも取らなくてはいけない。

一晩の内に飛行機の予約状況があれよあれよと言う間に変わり、なんとか全員帰国の手配ができた。Mさんの旅行社とのやりとりはそれは巧みだった。家族が来て一緒に帰りたい選手、関空から急いで個別に帰国する選手数人以外は、伊丹空港経由で成田発のロンドン行きの数便に二日に分けてに分乗することになった。先発隊は翌早朝JAWOCバスで伊丹に走り、そこから成田に飛ぶ。

6月13日、朝5時半ホテル出発。ところがやはり最後の最後まで集合が悪い。6時になっても約1名、降りてこない。コーチのB氏だ。部屋に電話しても通じず、ホテルに部屋の鍵を開けてもらうと、爆睡状態なのだ。揺り起こしても起きない。取り合えずもう出ないと全員で乗り遅れてしまうのでバスを出発させる。

B氏はドクターをよんでなんとか起こしてもらう。とにかく別の車を出して追いかけるしかない。ところが起きたはずなのになかなか来ない。電話にも出ない。シャワーでも浴びているのか。それにしても遅いので呼びに行くとなんとまた寝ている。ドクターともう一人スタッフがついてとにかく着替えさせてやっとロビーに現れた。6時45分。朝の混雑時、伊丹まで充分1時間はかかる。8:00発のフライトだから7時半には着いていなくてはいけない。

このドキドキドライブの付き添いに任命され、B氏と共に車に乗りこむ。先に出発したバスの輸送班のF氏と携帯で連絡を取り合いながら、運転手さんにも100(いちまるまる)走行(=100キロ!)してもらう。途中先発バスはもう空港に到着したとの連絡。一方こちらは通勤ラッシュにはまり、さらには事故渋滞。もう7時半、これはもうだめかと思ったが、Fさんからチェックインを7時45分まで待ってもらえると連絡が入る。渋滞を抜け、飛行場が見える。一般の入り口を通り越し、Fさんの電話の誘導で格納庫の裏の特設チェックインに7:45到着。"We made it!" B氏にそう言ったが、なんと返事は「乗り遅れたら、今夜は君と一緒に過ごしたいと思ってたのに。」

F氏と飛行場のフェンスから選手一行を乗せた飛行機を見送って、来た道を1時間かけて帰った。

次の日は寝坊事件はなかった。一人残らずバスに乗りこみ、F氏を始めホテルでお世話になった人にお別れをしてここ数日何度も行ったり来たりした道を走りとうとう帰路に着いた。成田でも荷物の行き違いでひと騒動あったが、とにかく選手、スタッフ全員を見送り、われわれリエイゾン6人はそこで解散になった。わたしのW杯珍道中もここで終了。お付き合いありがとうございました。

成田ー伊丹  チャーター便

                           

 

 

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